ひさしぶりに

 随分と放置している。仕事にのめり込んだり子供が生まれたり、母親が亡くなったりとにかくバタバタしている。今月はバタバタだなというとおタキさんに毎月いってるじゃんとつっこまれた。子供が生まれると色々生活が変わる。それは時間を取られるというだけではなくて精神的に。良くいわれる「あなたも子供が出来れば分るわよ」という親の台詞、友達にいわれるのとは別に自分の親がなにをもって自分に何をして、何を思っていたかは今になって分ることがある。そして、それに対して何かをいいたい母親はもうこの世にはいない。えてしてそういうものだ。

かきそびれていたこと

 震災について思うところは沢山あるのだけれど、直接の被災者でもなく何かすべてが現実感がない。大学が岩手だったこともあり被災地と思われるところにも知り合いがいる。連絡をとるのも何か億劫というか怖いというか実感のないものがのこのこと何をと思うところもあり積極的な連絡はあまりとっていなかった。情報のハブになるような友人に声をかけておよそ知っている人は命は無事ということだけは確認した。
 安否の確認はかなり自己満足なのかなとも思ったりする。普段からかなり親しく連絡をしているのならともかく。震災とは直接的に関係ないけれど、母親が去年ガンになって入院したとき、沢山の人から連絡をもらったようだが、その際の声のかけ方について非常に憤っていたのが記憶に新しい。大きすぎる災厄が降りかかった人に安全地帯かと思われるところからどんな声をかけられるだろう。かけることで得られるものがかける側の自己満足ではちょっと救われない気がする。
 そういう意味では、twittermixiを通じて受動的に安否をしれるというのは災害時に非常に有意義だと思う。実際にネットワークというインフラが一番有効なことは、情報の発信と受信を切り分けられることだろう。被災者は一度情報をアップしてしまえば閲覧側の負荷はサーバーに向かうわけで、電話などと違って直接被災地に負荷がかからない。ネットワークは被災者にとって直接役には立っていないという話しもでていたけれど、負荷分散という意味で間接的に大きく差が出ているように思う。
 東京方面の話を聞いていると、地震もさることながら放射能に関する話で相当情報が錯綜しているようだ。情報も錯綜しているが、それを取り扱うもののスキルが顕著に現れている。普段からリスクというものに真正面から向き合ったことがない人はリスクをあるかないかの二元論で捉えてしまうようだ。別に放射能にかかわらず、普段から見えないところで許容量であるというだけで知らされていないリスクがあることが分らないと、全てが降ってわいてきたように見えるのだろう。飛行機に乗ることにだって被爆リスクがあるということなんて普通の人は知らないだろう。日常時のリスクは許容範囲ないだとあえて知らされていないが、非常時のリスクは念のためと知らされてしまう。知らぬが仏とはよくいうけれど、許容範囲だからと隠蔽されるとそれはそれで後に大きなリスクになるということもあって一概に風評被害がでるから発表を控えろとも言い難い。リスクそのものよりも、リスクが可視化されたことで判断という行為を普段からしていない人間にとっては凄いストレスが発生して、それがもとのリスクが与える害を越えてしまっていることが東京辺りでは感じられる。特に放射能は目に見えないだけに一度そのリスクに気が付くとわけが「わからない人」にとっては不安がいつまでたってもぬぐえないだろうとは思う。
 おタキさんには注意されていたのだけれど、やはり直接の被災者では無いのだけれど連日テレビの報道番組を見続けると精神的になにかおかしくなるらしい。一時住んでいた場所ということもあるのだろうけれど少し自分が情緒不安定になっていることは感じている。それから意識的にテレビの報道番組は遠ざけるようにしている。ラジオは平気だがテレビはどうも無駄に同じ映像を繰り返されることで変なフラッシュバックがおこるようになるらしい。
 そして、先日東福寺に用事があって伺ったのだけれど、そこで手を合わせることで少し心が落ち着いた自分を感じて、本当に個人ではままならないものに向き合うためには宗教というものが必要なんだなと納得した。

たのしみかた

 おタキさんは大抵の日曜日NHK囲碁の時間を見ている。今まで私はあの番組はある程度以上の棋力がないと楽しめないものだと思っていた。盤面の状態がある程度理解できないと意味不明で見所なんてないと思っていたけれどどうもそうでもないらしい。

 あまり私は気にしていなかったけれど、対局者の仕草や解説の棋士や聞き手の仕草など色々分らないなりに楽しめる。よく考えたら、自分だって野球やサッカーなんて殆ど技術的なことは分らないけれど観戦して楽しんでいるわけだから理解度と楽しさは必ずしも比例しているわけではないらしい。

 1アマとして今まで楽しむことは強くなる過程でしか味わえないと思っていたけれど、色々な楽しみ方が改めてあるもんだと感心した。

 どうでもいい話だが宮沢吾郎プロの息子がサカナ君だったと知ったときは驚いた。そういえばよく似ている・・・

時代

 おタキさんが「カミソリ坂田」といっていたので何故そんなマニアックな名前を知っているのかと思ったら、22日に亡くなられて新聞にでていたらしい。
 藤沢秀行さんが亡くなったときもショックを受けたが、最近芸能人にしてもそうだけれど亡くなった方をみかけるとみんなもうこんな年なんだなとあらためて思った。自分が小さな頃バリバリと活躍しておられたかたが年齢的に亡くなる時期になったのかと。いわゆる戦後という時代を力強く生きてこられた方々。
 自分の親が昔に、テレビの訃報を見て「えー●●さんってそんな年やったんか」と驚いていたのを今更ながらにそういう意味かと振り返る。

帰り道

 どこかに行ったとき、ふと心に止まるのは帰り道なことがおおい。

 目的を果たした後、家路までの心の隙間に風景が入り込んでくるからかもしれない。朝焼け夕焼けは普段の風景を変えるからかな。やはり境界線の時間はゆらぐぶん人のこころを揺さぶるのだろうか。