選ぶ

 「京滋の130景」に応募するために、自分が撮った写真の中から選ぶという行為をしたんだけれど、なかなか面白かった。自分の写真を見比べて、これはもうちょっとこうだったら良いのにとか、構図は好きなのに若干ピンぼけとか色々と何が不満か浮かび上がってくる。

 写真を撮って思うのは、ひらめきというのは自分の中で思っているよりも溢れていて、なおかつ儚いので、ひらめいたことすらすぐに忘れ去られてしまうということだ。

 風景を見ていて、これ面白いなと思ったとき、カバンからカメラを出すというのは結構な作業だ。町中を歩いていて、面白いものと感じたことがどれくらいあったかなんて普段覚えていない。それがカメラを出すことによって映像として残るし、撮らなくても撮ろうと思ったという意識付けだけでそれが有ったことを再認識できる。

 これは写真限らず、日常のなかで仕事についても遊びについても色々な気づきをしていながら、自分で見過ごしているのだろう。子供の頃はその気づきに忠実だったのかもしれない。大人になってそれを無視することを覚えたのだろう。

 その撮った写真の中からさらに選ぶということは、自分の気づきの記録を眺めることだ。そして、自分の色々な無意識な視点を再認識する。マチヤに何枚か撮ったら選んで現像すると良いよといわれたのは、そういう楽しみのことをいわれていたのかなぁと想像してみる。