手で見る

 久々に信楽の撮影に行く。今日は社長は窯焚きで不在で作家さんも風邪のために作品だけの納品になった。普段なら展覧品は作家さんが自分で並べることが多いのだけれどお店が全体的に回っていなかった。当然ながら撮影をしながら展示の準備も手伝う。

 GX100での撮影も二回目ということで前回の反省を生かして設定をそれなりに弄ってみる。今までと何が違うかはうまくいえないのだけれど、質感的に自分が思っているように撮れるようになってきて少し嬉しい。まだまだ色々試行錯誤の余地はあるので色々と試していきたい。

 撮影が終わった後、予想外のバタバタだったことから緑釉のコーヒーカップを頂いた。最初に見たときは、あまりピンとこなかったのだけれど、手渡されて自分の手で持ってみて驚く、恐ろしく手に馴染む。不思議なものでもう一度みると今までと違うもののように見える。

 紅茶の味覚と嗅覚の関係もそうだが、人は複数の感覚器官を統合して物事を判断しているのだと改めて思う。そう考えると、美術館などに飾ってある陶器の本当の良さを私たちはしることは出来ないのだろう。道具としてのモノというのは、やはり触ってみないとわからないものの方が多いのだろうな。

 バランスボールに立つと視覚の重要性に気がつく。バランスボールの上に立った後目を閉じると絶対に平衡感覚を保てない。無くなってから気がつく重要性、さわってからわかる素晴らしさ、気づいてなかったり食わず嫌いで損をしていることが沢山あるのだろうと思う。

 もっともっと五感を駆使して色々感じられる人になりたいな。