コミュニケーション

 「けんじろう と コラボろう!」というblogを購読している。元々は、何かの記事で「学校裏サイトで娘が実名で攻撃され、父としてメールを送ってみた。」という記事を読んだのがきっかけだ。私が知っている中で、子育て記録以外で親としての立場で色々な提案をしている数少ないblogだ。

 その中で次のような提案が載っていた。

 近所に住むあるお父さんが、怒らない子育てと、家族の絆を強くすることを目的に「家族への独り言ブログ」に取り組んでいる。(私が本に書く内容が、正しいかどうかを検証するために実践をお願いした)

 ブログに書いている内容は、昔のホームページのようなもので、家庭で起きた出来事と気づいたこと、気になったことを、短い文章で書いているのだ。

 このお父さんの匿名ブログは、誰でも見ることができるオープンなブログだが、見ているのは奥さんと息子さんだけだ。そして、この二人だけが、このブログを書いているのがお父さんだと知っている。

 息子さんはパソコンのデスクトップにある「お父さんの日記を見てみよう」というショートカットを選ぶだけで、ブログサイトにアクセスできる。

<相手に指示せず、自分にとって何が困るか、何が嬉しいかを書く>

ブログの内容は、次のようなものだ。

・子供のやっていることで、心配だから直してほしいことや残念だったこと、いやだったこと
・子供達との楽しかった出来事
・会社で大変だった出来事
・週末にしたいと思っていること

 実際のブログを見せてもらったが、子供でもわかる言葉で短く素直に、子供に対してではなく、ネットにいる沢山の人に対して、独り言のように自分の素直な感情を書いている。
 「お父さんの「独り言ブログ」〜怒らない子育ての実践」

 多分この試みは、記事を書くときの距離の測り方が相当難しいので、相当書き手側に負担があるようにおもうのだが成功すればとても面白いだろうなとおもう。

 私は親ではないので計りかねるところは色々とあるのだけれど、自分と親との関係を省みて、どれほど子に対する親の考えを知っているか、と考えると殆ど知らないように思う。「考え」に基づいた断片としての「発言」というのは当然聞いて知っている。ただ、そのバックボーンに何があるのかはさっぱり分からない。大抵、何かをいわれるときはお互いに感情的になっているし、そんなことをいちいちかみ砕いて子に説明する親はそういない。小さいときには分からないことも沢山あるだろう。

 良く言われる言葉に「あなたも人の親になれば分かる」という言葉がある。そうやって、立場を変えてみて分かることも沢山あるだろう。そして、その立場になったときに親と腹を割ってしゃべれるかといえば、お互い照れもあってなかなか難しいだろう。ここに独り言の意義があるようにおもう。手紙と独白では相当意味合いが違う。

ブログは3人に向かって書け。304 Not Modified
3人とは、以下の通り。

1.自分(一人称)
2.相手(二人称)
3.たまたまサイトに辿りついた誰か(三人称)

 これに4人目として「私を知りたいあなた」を足すのはありだなとおもう。「たまたま」ではなく、私に興味をもって知りたいと思って、このblogに来てくれた人に向かって「私そのもの」を伝える。それは、以前からblogに書いてきたことなんだけれど。

 このさき、10年、20年とblogを続けていて、その時、もしいるかもしれない自分の子が、ある程度文章を読めるような時期になったとき、親のつづってきた文章を読んだらどう思うだろうか。普段、父として見ている人間の父以外の時の姿を子はどれくらい知っているのだろう。少なくとも私にはそれを知る術は無かった。

 自分が、過去に思い悩んだことなどの記録が残っている。それを見てバカだと思われるのか、はたまた自分と同じだとシンパシーを感じてもらえるのか、そういう馬鹿な妄想をしてみるのも、たまには面白い。