フリセン

 剣道をまた中断して久しいのだけれど、素振りだけは思い出したようにやっている。練習を再開したときに買ったフリセンがなかなか使い勝手が良いからだ。

 これは本当に良くできていると思う。素振りは家ではなかなかやりにくい。普通の竹刀では当然部屋では振れないし、外でやると靴を履くので感覚も狂うし下手すると通報されたりすることもある。日本の住宅事情を考慮したまさに画期的商品だと思っている。感覚的にも竹刀に結構近い。

 さすがに一日1000本はやっていないのだけれど、素振りをすることは結構楽しい。ジョニ辺りにはまた本末転倒といわれそうなのだけれど、剣道も囲碁も大会で勝つとかそういうことにはあまり興味がわかない。あくまで自己鍛錬とか自己表現の一環として続けている気がする。

 中、高、大と剣道は続けてきたけれど、正直ちっとも才能は無いように思う。客観的にみても剣道は特に笑い話しか残っていないような気がする。囲碁はそうでもないと思っていたのだけれど、ぴょんちゃんに散々エンターテイナーとかいわれているので、どうも生き方がエンターテイナー系なのかもしれない。

 剣道の素振りや、囲碁棋譜並べをすると何故か心が落ち着く。部屋にある姿見に向かって竹刀を構えると余計な考えを消して心が落ち着けるのだ。棋譜並べも同様。だから私は棋譜を並べるときには総譜で解説が無いものばかりだ。ただただ石の流を追う。気が入ってくると石の流が読めて楽しい。

 素振りは鏡を見ながら出来るだけ力を抜いて振る。脱力を意識しても人の身体は自然とどこかが力んでいる。繰り返すことで力の入ってる場所を探して脱力してみる。するとたまに良く振れているなと思うことがある。剣先が鋭く返りしかも力んでいない。そういう素振りができるととても楽しい。

 剣道も、囲碁も自分一人でごそごそやっているのが好きなのかも知れない。自分のペースが好きなんだなと改めて思う。

 以前剣道を再開したとき、昇段審査を目標にしてやったほうが良いよと周りから進められた。目標がないと続かないでしょうと。あまり気が進まなかった。試験とか資格は私にとってあまりモチベーションにならない。どうしてだろう。自分がやりたいことと試験や資格を受けることが一致しないのだろう。

 何というか、こういう趣味的なことは、周りに認めてもらうよりもむしろ自分の中での査定を満足させるためにやっている。その基準は一般的な試験や資格と一致しないことが多いからだろう。楽しみ方がマニアックということなんだろうと思う。

 多分死ぬまでまったり自分一人の世界で続けていくのだろうなぁ。