経験とはなにか

 最近全然blogを更新できていないが書きたい欲が高まっているがうまいネタがないのでまなめさんに粘着してみる。

 経験値とは、図のぶれの間で試行錯誤をすることだと思うんだ。常に良いことをやるんじゃない。どうなるか分からないけれど、結果が変化するようなことを試してみる。料理だったら、ここでこの材料を入れたらどうなるだろうかというのを試してみる。その結果が良くなっても悪くなっても、そのチャレンジが経験になるんだと思う。経験とは、自分のいるステージの範囲内でどれだけぶれさせるアクションを起こせたかだと思うんだ。そのチャレンジが多いほど、そしてぶれが大きいほど、次のレベルアップで高いステージに登れるんだと思うのです。
経験値を積むということ
 これはまったく意見が違うなあ、と思いました。経験をつむことの捉え方が違うのだなと痛感するエントリ。個人的には経験をつむと言うことは「どれだけぶれのない出力が出来るようになるか」だと思っていて、安定した出力が出来るようになってから初めて次のことが出来ると考えています。成長していないと思っているときが一番実力がついているときだと考えていて(ただ単に成長の遅い自分を慰めているだけかもしれないけど)、まなめさんは料理が下手だと思っているのかもしれないけれど、長年続けていて安定した味が出せるのなら次のステップに進む実力がすでに身についているのではないかと思います。 
経験と成長

 上記の文章を読むと、経験の質と量に関する話がハッキリ区別されていないために違和感がでているように思う。

 経験そのものは実は時間に等しく皆がもっているものだ。違いは意図的に経験したか否かだけの違いだ。その中で意図的に経験を反復することで行為そのもの精度を上げたり、精度は同じでもかかる負担をへらしたりするわけだ。

 まなめさんが言うレベルという概念があるスキルに対して使われると仮定すると、そのスキルはさらに沢山のスキルの複合要素だ。そして、人が一度につかえる力を100としたとき、スキルを一つ使うごとに力は分散されて使用されていく。

 経験値に限ってはあのモンスターを倒したからいくつというのは現実的ではない。実際は、同じことを繰り返していては慣れるだけでレベルアップはしないものだと思う。
経験値を積むということ

 これは明らかに誤解があるように思う。すなわち慣れるということは、その作業に対して使うべき力を減らす。ということは同時に出来るスキルを増やすことになるので事実上レベルは上がっている。(正確には上がる可能性が潜在的に増えている)

 そして、何より慣れることでその行為自体の基本性能があがる。武道なんかは特にそうだけれど、未経験者からみた複雑な動作といわれるものは基本動作の組み合わせであることが多い。例えば、料理でいうなら炒飯ができなければ炒め物は全部駄目というのは有名な話だ。炒飯を作り続けることは果たして慣れただけでレベルアップしていないだろうか?決してそんなことはない。レベルというのは質と量の積なのでどちらも重要だと思う。

 試行錯誤という意味では一番分かりやすい例えはロッククライミングだろう。自身の体の位置をレベル、各四肢をスキルと思えばよい。基本的に手足のどれかを動かすためには残りの手足を固定している。そして、その時点の残りの手足の位置が動かしている手の到達できる最高点を決める。現時点で動かしている手をどこに置くかによって次に動かす手足がどこまで上にいけるかを決定づける。動かしているての到着点を模索するのがまなめさんのいうブレに近い。そして、手足がある程度の位置に固定されたとき初めて体の中心点の位置が上に上がる。この繰り返しだ。

 私的には経験はいやでも勝手に積み重なっていく、時間を積み重ねたことが全て経験だ。実は経験の質はそれほど問題ではない。経験は知識と同じでそれをどう使うかにかかっている。意図的に経験の種類は変えられるがそれは是非があるものではない。

 自分が今までしてきた事を悔やむよりも、今まで自分がしてきたことで何が出来るかを考えれば良い。自分が思っているよりも自分の経験というのはまだまだ可能性があるものだ。

 「愚者が賢者から学ぶことよりも、賢者が愚者から学ぶことのほうが多い」