つたわるもの

 表にでるものは全て表層的で、自分ですらハッキリ分からない形の無い思いを言葉に代えた時点で色々欠落してしまう。

 それでもなお、表情や声色といった付加情報で相手に何かを伝えようとする。言葉を文字に直すだけでも、そういった付加情報は失われる。お情け程度に顔文字なんかでそれを補完しようと頑張る。

 確かにメールで用件は伝わるだろう、ただそれで思いは伝わるだろうか。例えば必死さだったり悲しさだったり嬉しさだったり。自分が伝えたい思いが100あれば一体本当に相手につたわっているのはどれくらい何だろう。

 電話で、メールで、便利っていうことは結局何かを簡便化しているのだろうなぁ。自分が本当に伝えたい事ってなんだろう。用件なのかな。

 人は五感で発信し五感で受信する。欠損した感覚で情報を発信して、欠損した感覚で受信する。だから人はいつでもコミュニケーション不全なんだろう。

 それでも、それでも人は諦めずに何かを人に伝えようとする。100のうち10だったら11を50だったら51、少しでも沢山の事を伝えたいと思う。全力で発信して、全力で受信する。

 一度で10しか伝わらないなら、100伝えたければ10回、重複するなら1000回でも伝わるまで頑張るしか仕方ないんだろう。誤解されても仕方ない。発信し続けて修正する以外に一体なにが出来るんだろう。

 多分本当に伝えたいと思うことに楽は出来ないんだろうな。