バレンタインに、おタキさんから手袋と本とチョコレートを合わせて貰った。当然、もらえるだけで有り難いのだけれど、今自分が必要としているものを補ってもらえるのはとても嬉しい。

 本を人にあげることは本当に難しいと思う。プレゼントはみんなそうなのだけれど、自分の引き出しの中から、相手に合わせたものをチョイスするのは本当に難しい。本は特に精神的なものになってくるのでよけいだ。

 「スウェーデン式アイデアブック」という小冊子を貰ったのだけれど、ちょうど仕事のうえで、思考の転換や自分なりのテーマを持って何かを生み出そうとしていた途中ということもあって、ちょっとどんな本だろうとぱらぱら見始めたはずが半分ぐらい読み終わっていた。

 サイクスにも何度か本をお願いして送ってもらったり、勧めてもらったりしているのだけれど、それも自分の心に響くものが多い。ありがたいことだ。

 先日のエントリでも書いたけれど、字を書く訓練もかねて、最近本をノートにまるまる書き写すようにしている。ただ読むよりも手を動かすと視覚と触覚で言葉に触れるので飲み込みが早くなる。

 知っていることが、身に付いているとは限らない。知識を使いこなせる為の道具に昇華させるために、どういう努力が必要だろうか。本から得るものは確かに目から入るのかもしれないが、それを手や口、もしくは体全体をつかってアウトプットするように努力して初めて自分のものになるのだろう。

 以前、サイクスから読むようにともらったテキストの意味を再度噛みしめて、以前とは違う形でそれを実感出来るようになってきた。備忘のために引用しておく。

人が輝いているとき

理化学研究所 脳科学総合研究センター
松本元

脳は思えばその事を成す為の仕組みを創る.すなわち,脳ではイメージが先で現実は後追い,と言う事ができる.脳が "この事はこうだ" とイメージすればその事の理由付けを創るのである.
脳は入力情報を得ると,その情報から脳から引き出すべき事項をイメージし,その結果こうではないかと考えたり,行動したり,話したり,感情を表出したり(脳からの出力)することで,入力情報を処理する為の仕組みを創っていく.
従って,脳の目的は,情報処理の仕組みを創ることであり,脳からの出力はこの目的の為の手段である.情報処理の仕組みを獲得する戦略として,生まれながらに脳に備わっている学習は,従って出力依存性である.例えば,風景をよく憶えようとするなら,その景色を百回眺めるより一回スケッチする方が有効である,と言われる由縁である.ボケない為には,とにかく普段より積極的に行動し,話し,考え,感情豊かに表出するなど,脳から出力する事である.

脳とコンピュータの本質的な違いは,目的と手段がちょうど入れ替わっている,ということである.コンピュータの目的は出力を得ることであり,その為の手段としての情報処理の仕方は,プログラムとして人が与える.コンピュータは,入力を得るとプログラムに従ってその情報を処理し出力する.これに対し,脳の目的は情報処理の仕方を獲得することであり,いわば高きに向かって成長するプロセスにある,と言える.脳の目的は,人の生きる目的と考えられるとすると,人生はどれだけのことを成したか(出力したか)ではなく,高きに向かって成長するプロセスにある,と言えよう.高きに向かう為には,やってみることがまず必要とされるが,その事を成す為の仕組みが未だ獲得されていないので,必ず失敗し挫折するのである.すなわち,失敗や挫折を通してのみ成長があるように学習戦略は備えられており,そして,このことを通して独創性は生まれるのである.現代社会が人を,その人の出来高で評価しようとし,挑戦して失敗することには高いクレジットを与えないとすると,人が独創的であることも難しく,またこの事は脳本来の性質に適わないので,人として輝いて生きることも難しいだろう.人の幸福は,その人の居る位置(出来高)ではなく,苦しくても,高きに向かって進もうと努力している最中にある.高校野球で,たとえ122:0で負けていて位置が極めて低い中にあっても,その事に一生懸命取り組んでいる時に至福感があり,それを見ている我々もその姿に感動するのである.

脳は,繰り返し繰り返し入力する事柄に対し,その事を成すための仕組みを創ってしまう.社会慣習から,知らず知らずに脳に創りあげてしまう脳の仕組みが,脳本来の目的(脳のこころ)に適合しない場合,その事が我々を最も苦しめるのである.出来高評価が社会慣習となっていることで人が輝かず,脳本来のフルパワーが発揮できずにいることが多い.また,競争原理を必要善とする現在の社会慣習もしかりである.この論理は「人は本来怠け者である」という人間の見方に立脚している.しかし,人は本来燃えて生きたいのである.燃えて生きる対象が見出せない時,怠惰に振る舞うように見えるにすぎない.こうした人の本性の見誤りに基づく社会慣習に適合すべく脳を創るのではなく,脳のこころに適合するように脳を創ることで,人は輝いて生きることができる.