三十で自立し、四十で惑わず

 むかしの偉い人のお言葉。 三十路を越えてから、視界は確かに変わった気がする。もう若さに甘えられる年じゃ無くなったからかもしれないけれど、色々ないがしろにしてきたものがよく見える。

 自分は、選んできたのか捨ててきたのかどっちだろう。多分、表裏一体何だろうけれど。だとすれば、選んだと思うのか捨てたと思うのか心の持ちようでその積み重ねはえらく違うのだろうな。掴み取ったと思う人は選んだと思うだろうし、諦めた人は捨てたと思うだろう。

 実際自分が手に入れられるものは、どんな人生を選んでいたとしても総量は変わらないのかもしれないよ。だとしたら、今現実に自分の手にあるものをどう受け止めるかだけしか無いんだろうな。

 実際自分の中にあるものは、善し悪しなんて元々無くてただそこにあるだけなんだろう。そうだとしたら、以前いわれた時間は人に対して平等というのは納得できるかもしれないな。そうだとしたら、時間はどう過ごしたかじゃなくて、過ごした時間をどう捉えるかで変わると言うことになる。

 だったら、過ぎ去った時間の密度すらも今から変えられるんじゃないか。それが多分塞翁が馬的な発想なんだと思う。だとしたら、遅すぎる事なんて本当はひとつもありはしないんじゃないかな。