和して属さず

 漫画家山田玲司の「非属の才能」という本の章題らしい。見た瞬間に自分はこうなりたいんだろうなぁというカタチを凝縮したものを感じた。

 すこし考えてみたけれど、属するという言葉は合っているのかはやっぱり分からないかもしれない。個人的な趣向でいうと、排他的な属性が嫌いだということかも知れない。

 イメージ的な例でいえば、フォルダによる仕分けと、タグによる仕分けの違いだろうか。主従の関係が属性に人が属するのか、人に属性が属するのかという問題である。多面的な要素があるものをフォルダ分けすることは非常に区別に困る。今まではある種、自分の最も大きな属性に縛られてコミュニティを形成する必要があったということだ。何か一つをえらばなねばなかったから。

 自分はもっと多面的で、自分の中の一面として属性が存在する。それは嗜好であったり特徴であったりする。主属性に毒されすぎてはいないだろうか。社会人としての自分の属性に溺れるあまり家庭を創造できないことは良く聞く。

 それは結局の所、属性の主従関係が崩れた結果のようにも思う。どんなこともその人の全てではなくて一つの属性、それが無くなったとしてもその人自身が無くなるような錯覚を覚えていないだろうか。

 まぁこの思考は原著を読んだわけでもなく言葉尻のイメージなので、全く見当違いの話を書いているかもしれない。あくまで言葉の音で私が取った中での想像だと思って欲しい。