裾野を広げて、頂点を高くする。

 以前、シングルモルトについて触れたときにモルト侍がコメントにくれた言葉だ。囲碁にも同じ事が言える。

 頂点を高くする部分に関しては、プロに任すとして自分の手の届く範囲にあるのはやはりすそ野を広げる部分だろう。奇しくも私の家は碁会所なのだけれど、普及に関しては余り寄与していないのが現状だ。まぁその運営方法に関しては父親の管轄でもあるし、うるさく口を出すつもりは無いのだけれど。

 自分自身が、口を動かすなら手も動かせとのお叱りも受けているのだけれど、ほどほどには自分なりに動いてみたこともある。あまりこういう言い方は好きではないけれど、現実世界というものの中で何かの影響を及ぼしたとしても、それはあまりにも影響が小さすぎた。

 部分的な是非はともかく、全体的な流れを変えるような方向で何かに関わるとすれば、現実世界で動くのはあまりにも局所的になりがちでスケールメリットが出にくい。部分的な活動もそれはそれで十分重要なのだけれど、自分のもつ能力の適性を考えるともっと違う方向に動かした方が話は面白い。

 前回のgoxiへの提案の記事は、珍しく普段反応しない人からも反応をもらったし出来ることならやってみたいとも思う。そういうところで今までぱっと動いて色々なものを世の中に提供しているhide-wさんはやっぱり凄いなと思ったりする。

 直接の働きかけをするよりも、誰かが何かをする事の閾値を下げること、即ち場を用意することがスケールメリットを出しやすい。私は多分面白いコンテンツを断続的に発表できる人間では無い。だからせめてコンテンツを持っているけれど世に出せない人達の場の提供を出来るような役割を出来たらと思う。

 blogなどが普及したことも一つのその助けになるだろう。面白いコンテンツがWEB上に登場することは、必然的に露出が高まる。そうすれば認知度があがり、潜在的なユーザーは多分増えるだろう。そして、そういうコンテンツの上に入門用の動画やそういった類への動線をつけるようなモデルを作っていかないとユーザーは増えないだろうと思う。

 うろ覚えで間違っているかもしれないが、昭和の初期、囲碁がブームというか人口が増えた時代、その実際の仕掛け人は読売新聞のあの悪名高いナベツネだったらしい。当時まだそれほど盤石では無かった読売新聞の基盤を、呉清源の十番碁などを誘致して世論の注目を集めたらしい。

 結局の所、どういう形であれ目立つことがまず一番最初に必要だと言うことである。それはヒカルの碁の事例をみても明らかだ。

 ではヒカルの碁という一時期のブームを生かせなかった理由はなんだろうか。これは私の予想にしか過ぎないけれど、「普及」という問題は日本棋院関西棋院にとって「重要と理屈で分かっていても、感情としてそれを押し上げるモノがなかった」ということでないかと思う。ようは本当の意味での危機感が欠如しているのではないかということ。

 危機感が無いので、対応が後手に回る、後手に回るので対処的な対応になり次の流れを作り出せないという話になる。

 以前からこの件に関しては言っているのだけれど、プレイヤーと組織の運営者は別であるべきだ。棋士が組織を運営していく方法は多分うまくいかない。それは正直なところどうやっても、その形では組織の運営者である以前に1プレイヤーだということになってしまうのだ。

 すこしたとえとしては悪いかもしれないが、野球のプレイングマネージャーと同じ話になる。競技の質は上がっているし、兼任出来るほど牧歌的な情勢ではない。

 そして、これはいやらしい話で多数の方に怒られる話しになるかも知れないが、今のこの形では体質的に運営が軽く見られている可能性が高い。どういうことかというと、この手の技術集団では基本的に組織内の序列はその技術の練度によって作られるということだ。即ちどうしたって強い棋士というのは発言力が上がることになる。そこまで単純では無いけれどこれは運営とは無関係の要素が運営に持ち込まれるということを意味する。

 さらに、運営は先ほども上げたとおりトッププレイヤーと並列して行えるほど甘くはない、それはトッププレイヤーであることもそうであるし、運営としてもそうだ。しかし、元々の集団がプレイヤーの集団である以上、運営に力を入れたプレイヤーは「トッププレイヤーを諦めて運営に力を入れた」という印象が拭い得ない部分がある。これは運営側が、プレイヤーに対して主導権を取りづらいという形を招くのではないだろうか。

 棋士個々が個人事業主であることは大前提だとすると、この組織作りは相当問題があると思う。このあたりの印象は、想像だけではなく実際に色々と関わってみて感じたことだから程度の大小はあれ全く無いことはないだろう。

 上からの改革は、改革をすることにモチベーションをもつカリスマ+政治力を持つ人材がでてこないと今のところ無理だと思う。そんなことを期待するのは自分の力で結果が変わるわけではないのですそ野でせいぜいやれる事をやってみることにする。まぁ偉そうに言ってみたところで、自分が楽しいと思うことを結局するだけなんだけどね。