goxiについての提言(ソーシャルネットワークサービスの続き)

 これは苦言の類になるのだろうか。はっきりと言ってしまえば今回の文章はgoxiに向けての思いを書いていることになる。

 前回、mixi以外の後発SNSは殆ど成功している話を聞かないということと、ニッチな市場に特化したSNSはスケール的に閑散としてしまうという事を書いてみた。しかし、欠点ばかりでなく利点もある、当然市場に特化したカスタマイズが可能になるからだ。goxiで言えば碁盤投稿ができる点にあたる。実際に広告文句もそれを売りにしている。

 しかし、私からするとこの視点はトータル的な運用からみてずれているように思う。棋譜を投稿できることは果たしてユーザーにとって「魅力的なツール」だろうか。そもそも囲碁をやっている人で、棋譜をWEB上にアップしたいという動機はそれほど大きいものかという問題がある。

 ではこの機能は無意味かというとそうではない。この機能の意義は投稿できることよりもむしろ、棋譜が動的に閲覧できることにある。javaアプレットでの表示までの設定をどの程度の障害と見るかはさておき、投稿できることよりも閲覧出来ることがキモだと言える。

 blogとSNSの最大の違いは、個々の発信のフィールドが一元的に管理されてまとまっていることだ。見る側に取って自分の捜したい情報を一元管理できるのが利点になる。SNSの閉鎖性の神話はmixiを見れば意味を成さないことは自明だといえる。

 すなわち閉鎖空間で身内で安心という話は、そもそも身内過ぎてそのSNS自体が意味のないものになってしまうというジレンマを抱えている。ということはSNSを閉鎖的に運用する意義はあまりないのでは無いかと私は思っている。

 一つのモデルケースに野球SNSというものがある。これも野球に特化したSNSだけれど、ここは特に会員登録をしなくても記事は読むことができる。この場合で言えば、goxiの投稿機能を使いたい人だけが登録する形にして閲覧には制限を設けない(もしくは投稿者が選択できるのが理想)

 こうしてくれると、正直goxiの使い勝手は恐ろしく高くなる。私も自分のblogに棋譜を掲載するのは正直かったるいし面倒だ、そういうときにgoxiに投稿してリンクをはれるなら便利この上ない。それは投稿の利便性もあるが、私の場合ライトな囲碁好きの友達に登録等の手間をかけずに伝えたいことを伝えられるということが大きい。

 そもそも、棋譜をわざわざ投稿するというのは、基本的に閲覧して欲しいという欲求の裏返しだ。投稿するのが目的ではなくて見て欲しい人に見て貰うことが最終的な機能の意義だ。どうもここを取り違えているような気がする。

 mixiは巨大なサイトで、コミュニケーションは囲碁好きの間でも当然行われている。この前Bob君の日記で師匠との対戦の話があったが、棋譜を見たいという話になった。しかし当然mixiではアップ出来ずgoxiなら出きるよという話になった。しかし、そこでupしたところでmixiから見たいと思った人がわざわざユーザー登録するのはさすがに手間がすぎる。

 そういうところで、相互の乗り入れを可能にして使えるものを使って、まずスケールのメリットを出していかないとSNS自体に魅力が生まれない。goxiが今後良い意味で発展するためには投稿者の視点よりもむしろ閲覧者の視点でもっとシステムを構築するべきでは無いかと思う。

 それは即ち、投稿者のモチベーションを上げるための施策を取るということに他ならないのだけれど。

 書きながらふと思ったけど、囲碁ニコニコ動画みたいなシステム作っても面白いんだな。棋譜をサーバーに登録するとflashで閲覧できるようにして、それをblogに貼り付けたりできるシステム。ある程度需要ありそうな気がする。ついでに一手ごとにニコニコ動画みたいに閲覧者がコメントを自由に書けるようにしとけば棋譜批評としても面白い気もする。hide-wさんあたりが作ってくれないかな(笑)