スイッチ

 自分はスイッチ一つで身を変えられるという妄想がある。いわゆる「やれば出来る子」という話し。そして現実はやはり「やれば出来る子」は最初からやっているという事実。出し惜しむ必要なんて殆どの場合無いのだから。

 むしろ、出し惜しむと感じた時点で、それは出来ないことなのかもしれない。結果を出すためには、やはり何らかの形で裏付けが必要なのだ。原因が無いところに結果はついてこない。当たり前の話し。

 人のことは簡単に話が出来る。いわゆる人事。ただ、それは自分に本当に当てはめられないのだろうかと考えてみる。他人が見せている他人を見ることによって出した結論、それは問題解決へのそれなりに具体的な解決策だったりする。実際それで他人がうまくいったことは何度もある。

 インプットされてアウトプットを出せる能力はそれなりにあるのだろう。かといって自分自身を見つめ直して、自分が短期的にしろ長期的にしろ具体的にどうしていくか計画をたてることがうまくいった試しがない。というよりもうまい計画を思いつかないのだ。

 計画自体をたてて実行できないことと、計画自体をたてられないことは本質的に全然違う。今の自分にとってどちらの状態かといえば、それは後者になるのだろう。

 何故だろう。最初にあげた仮定が正しいとすれば、インプット自体がまだ用意されていないということだろう。自分自身を客観的に見ることは難しい。目的がはっきり分からなければ、手段なんて思いつけないのだから。

 自分を自分自身で客観視することを私はずっと恐れてきたのかもしれない。自分の自分に対する値踏みというものをある程度信じられるということと、その結果がどうなるかが薄らぼんやりと見えるからだろう。敢えてそれを無視して何かをすることは、結局の所自分自身を信じないことになる。結局それは自分としての拠り所を失うことであって、足下の梯子を自分で蹴り飛ばしているのに等しい。

 結局、スイッチなんて、何かをやり続けていて知らない間に入っているものなのだろう。