バイアス

 人のことを語るときは慎重に。個人的には公私共に人に対する愚痴はこぼさないようにしている。本人の前で言えない事を他人の前で言うのはどうかと思うから。人がこぼしているのは別段気にならないが、ともかく自分は言わないようにしようと思っている。

 子供の頃は、両親と祖母の4人暮らしだった、母親は祖母とそりが合わず、いつも母親は愚痴を私に言っていた。まぁ色々な意味で面倒な家だと思うので愚痴はでても仕方がないと思う。

 ただ、子供の私はまだ何も分からないために親の世界観にもろに影響を受ける。特に母親は接する時間も多いので余計だ。母親はよく父親にもちゃぶ台をひっくり返されて泣いていたこともあったし、それを見てきた影響か父親とは私は距離を置いているふしがある。

 祖母は、私が中学生のときに亡くなったが、その時の私には何の感慨もなかった。今からその当時の事を思い起こすと、多分本当の祖母のひととなりは、同じ家に住みながら私は知ることがなかったのだろう。間接的に母親から話されてきた祖母像が私の中の祖母だ。

 実際の祖母にもう少し触れていれば、私は一体どんな人だと感じたのだろう。去年から、まったく今まで意識していなかった墓参りを再開して、ふとそんなことを思った。

 ストレスのはけ口は確かに必要だけれど、その出口を間違うとつまらない事になると思う。

 誰かに何かを話すことは、相手にとって話す内容について何らかのバイアスを与える事だと思う。どちらにしろ、多かれ少なかれ影響を与えるなら、負よりも正のほうが楽しい。