週末Psychsに「本を贈ろうと思うんだけどどう」と聞かれました。唐突だったので驚いたけれど、いつも良い本を紹介してもらっているしお願いすることはあっても断る理由なんて一片も無いので即お願いする。

 物のやりとりをすることは良くあるけれど、本を頂くというのは他の物と違ってまた格別のものがある。まだ手元には届いていないけれど、どんな本でどんな彼からのメッセージが込められているのかを考えると想像するだけで楽しい。丁度お盆の休みもあるので、今年は読書でおちついた夏休みも良いかもしれない。

 奇しくも、久しぶりに土曜日に私自身も精霊の守り人をアマゾンで注文したところだった。それと以前に少し紹介した照明がらみの本。最近は本当に遅かりしとはいえ、やっと気になる本をアマゾンでウィッシュリストに入れる週間がついた。Psychsにその話をしたら遅すぎとつっこみを入れられたけれど、大体彼に勧められた習慣やサービスを実質的に有効利用できたりするのは1年後ぐらいだったりする。知識と使ってみようという切っ掛けが合致して始めて利用してみる感じだからだ。なかなか切っ掛けがないと、進められたからといって盲目的に使うには私の腰は重すぎる。

 まぁでもまず存在を知らなければ、切っ掛けがあったとしてもそれに気が付かないわけでそういう意味では情報は沢山持っていた方が良いだろう。色々なものにアンテナをはるということが億劫になりがちなので、なるべくそうならないように意識的に自分の視野を外に向けるようにしている。

 Psychsに散々くだらない質問をして、そのたびに「アフロは人に聞く前に自分で調べなさい」とか「質問をするときはもっと話をまとめて」と怒られてきた訳だけれど、そのおかげで自分で調べる癖が少しずつついてきた。その中で色々とwebというものの性質も見え隠れしてくる。

 色々と調べ物をしていると、webは確かに情報量は多いけれど情報が順序建てされないので、ある程度基礎知識がないとまず整理ができない欠点があるようだ。まぁ分かっている人には当たり前すぎる事かもしれないけれど、自分の中ではもう少し万能視していたように思う。
 検索したい情報の種類に大きく左右される。、付加知識を調べるには恐ろしく便利だけれど、系統だった初期の学習には不向きだと痛感した。囲碁の初級の学習しかり、プログラミングしかり。自分の中である程度評価関数ができあがるまでは水先案内人の存在はやはり欠かせないように思う。そして、自分がその水先案内人になったとき、webサイトよりやはり初期の学習には書籍の方が効率的だということに気が付いた。

 そしてもう一つ、これは体感なので反論はあるかもしれないが、本当にコアな情報はweb上では流通しないことも感じた。ようはweb上にあるのは初心者向けの情報、そして初級者向けの情報が中抜けして中級者の下向けの情報、そしてケーススタディがメインのように思える。まぁある種課金コンテンツ以外はそうなのが当たり前なんだけれど、何もかもがweb上で流通しているような錯覚を自分が覚えていたなぁとちょっと感じたわけです。

 今後はどうか解らないけれど、結局のところ本気で学習という物をしようと思うと、まだまだ本を利用しないと無理だということを今更ながら痛感したというお話し。むしろwebを利用すればするほど本の重要性を感じたわけです。