名も無きあなたへ


 *今回のエントリは万人向けではただ一人に向けてかかれています。ご了承ください。

 コメントを見てしびれました。名無しなのでエントリーで感想を。

 あなたの言っていることはすべての核心をついていると私は思う。正直なところその指摘をめんとむかってくれる人がいるとは思っていなかった。たぶんある程度私とのつきあいがある人間なら頭に思い浮かぶ事だとおもうし、実際今までそうだった。

 その背景には自分は元々思考形成と自己形成を分けて考えるタイプの机上の空論タイプの人間だというのがある。理想像を形成することと実践することは完全に別の話だし自分はあり方を考えるのは好きでも実践するのは正直なところ興味がなかった。あるべき姿であって自分がそうあろうとした訳では無かった。

 今と昔の違いは自分がそれを目指そうと思っているかどうかその一点のみで結局のところまだ自分は何も出来ていない、口だけの状態だ。その評価を変えるためには何か実績を示していくしか仕方がない。(口だけという言葉が聞くという行為そのものを行えて居ないという意味なのか実践できていないというい意味かでも少しニュアンスが変わるが・・・前者の可能性も考慮すると人は自分の聞きたいことだけ聞くこれは真実だと思う。ありがたいことに聞きたくない忠告も聞かざるをえない強制力をもって注入される事が最近多くしかもそれは本来聞くべき忠告だったと後から思えることだった。そういう経験から以前よりは人の話を謙虚に聞いていると思いたい。これも改善の余地は多々あると思う)

 高見から見下ろしている思考というのは以前からあったそれは間違いない。大学の頃は顕著にそれがあったし実際にかなりいやな臭いを発していたとおもう。ただいまは似たような状況ではあるのだが矛先は自分に向いている。自分の中の形成された思考が自分の実体とのギャップに対して見下ろしている。自分の中で自分を見下す。これが今の自分のコンプレックスだと思っている。結局のところ自分で自分を認められないと他人に何を言われても所詮はじぶんの痛みをなめるだけの話で自己評価は変わらない。それをだましだましやっていたがそれじゃぁ駄目だとやっとこさ気づいた訳である。

 昔の自分は自分の思考と実体が同じレベルにあると思っていた。そこが現実の実行能力とのギャップにさらされるまで理解できていなかったのである。当時その思考が破綻しなかった背景は周りの実行能力の高さがある。結局のところ自分の思考の実践してくれる周りが居ることでバランスがとれていた。社会にでてある程度自分一人で動くようになってそのありがたさと自分のかなり低い実践能力に落胆する事になったわけだ。

 ここに一つ私の勝手な前提を述べておくと実行能力はともかくそういう意味の思考レベルの構築に関しては人並み以上には時間を割いているしそこそこのレベルにあると思っている。まぁこれはあくまで勝手な前提だが(笑)ここが崩れるともう自分のアイデンティティーが崩壊するのでそこはつっこまないで・・・

 あなたの言う孤独が何を指すかははっきりしないが、私の中で「依存」と「自立」と「相乗効果」という三つのキーワードが最近浮かんでいる。今までの自分は「相乗効果」という言葉を金看板に「自立」していない他人への「依存」で生きてきていると思う。自立できていない人間が本当の意味で相乗効果を発揮することは出来ないという風に最近は考えを変えた。だからまず自立を目指している。その後に本当のいみでの相乗効果を他人と発揮できれば良いと思っている。その自立というプロセスが一度自分を孤独というフィールドに身を置くということならばまさしくあなたと言っている通りだと思う。

 今回このコメントをもらえたことは正直すごく嬉しかった。誰かわからないけれどありがとう。また管理人向けコメントにもかかわらずこういう形で返事をすることを許してください。