反復の意味

 年明けから色々と取り組み方を変えようと試みている。その中の一つに意識して読書をすることがある。実際に読書を始めるにあたって少々省みることが出来たので書いてみることにする。

 読書を始めるに当たって少し読書について考えてみた。平たく言えば何のために読書をするかだが当然読書自体は目的ではなく学ぶということの手段だ。最初、読書を始めようとしたとき一ヶ月に予算を決めて本を買おうかと思っていた。(金がないから図書館にいってもいいかなとは思っていたが・・・)

 実際にそれを始めようかと思ったときにふと思った。自分は果たして今まで自分が読んだ本について一体どれくらい理解しているだろうか?内容がぺらぺらな本はさておき自分が感銘を受けた本をどれくらい掘り下げて読んだだろうか?と自問してみた。IT革命の恩恵で情報を集めやすくなった分密度が下がっていないだろうか?すべてをなめるだけで読み終わった気になっていた自分に気がついた。

 一度読んだだけで用済みな本を沢山読む必要があるだろうか?それよりはむしろ自分が感銘を受けたものを何度もそれこそ暗記出来るほど読み返し自分のものにする方が今の自分には良いのでは無いかと思い始めた。

 今自分に一番必要なのはうわっぺらの技術論よりも自分自身の行動原理の再構築が最重要なことだ。学び方の一番芯ができあがれば後はそれを応用していけば良い。その前に自分自身を一度構築し直す方が先決だと思う。そのために自分が選んだ本をもう一度読み直そうという気になった。

 この記事を読んで自分の意志決定の質が恐ろしく下がっている事を再認識した。すべての行動にある程度自分なりの意味をきちんと持たすことをしていきたいと思う。昔はこれをかなり意識していた、ある時から放棄してきたと思う。一度持っていたものを取り戻すことはたやすくはなくても不可能ではないと思う。

 スポーツなどは特に顕著だが基本の繰り返し体が無意識に反応するまで繰り返すこと、その意義を今更ながらに実感した。しっていることとできることは天と地ほどの差がある。自分は知っているだけで果たして実践出来ているだろうか?そういった原理原則を意識付けさせてくれる良書を繰り返し読むことは頭の基礎の反復運動になるのでは無いかと思う。