そうあってほしいこととそうであること

 基本的なスタンスとしては他人はあるがままでそれをどう自分に取り入れるかであって、他人にはなにも求めない事にしています。たとえが悪いかもしれませんが桂馬は桂馬で歩ではないので桂馬が前に進まないと言うよりも桂馬なりの使い方を考えるということです。まぁ端的に言えば過分な期待はしない訳です。

 普段の人付き合いはそれでいけるわけですが、実際の所自分のパートナーを選ぼうという時にはさすがにそう簡単に割り切れる物ではないです。当たり前の事だったのでしょうが何せそういう経験自体数が少ないせいで今までと勝手が違うので混乱していました。コモンセンス(あくまで自分としてので一般的ではない)として持っていて欲しい物というたぐいの話はそれはこうだと指摘する事すらしたくない。相手自ら湧き出る物でそうあって欲しいという願望はその感覚に齟齬があったときにすさまじいストレスを発生させる。そしてそのストレスに対する解決策を未だ見いだせていません・・・

 これはそういう人とつきあえば良いという簡単な問題ではない。あくまで自分が選ぶ人間にたいしてそうあって欲しいのであって、それそのものは最終的な目的ではない。端的な例をあげれば綺麗な人が好きなのではなく自分が好きな人には綺麗であってほしいという事である。これはある意味話し合って理解してもらうたぐいのものでは私の中ではない。そのことについて話し合いがもたれることそれ自体がすでに問題なのである。

 こういう同調願望が自分にあったのはかなり意外でもあった。結局の他人であるから価値観がすべて一緒ということはありえない。ただある自分の芯に近い感覚において同じ物を共有できるという安心感が欲しいのかもしれない。それは説明して伝える物ではなく感覚的に湧き出るものである。それを他人に伝える術を私はまだ知らない。