法人という隠れ蓑

 あるシステムの下で動いている集団があったら、そのリーダーがその集団の名前だと思います。企業だったらそれは代表取締役になると思うのです。だから、私は「匿名の人たちで構成されている大企業」という単語にとても違和感を持ちました。そう思ってしまう気持ちは分かります。むしろ私もずっとそう思っていました。しかし、上の立場を経験することで、私は少しだけ考え方が変わったのです。これ、おかしいでしょうか?
企業は匿名か 304 Not Modified

 「システムで動いている集団」を人格として定義したのが法人だとすれば、企業が匿名ということ自体がナンセンスだと思うのだけれど。基本的に法人においては代表取締役すらもシステムの中の構成要素に過ぎないと思うのです。リーダーが集団の名前というのは法人を私物化していることになります。オーナー企業の場合、代表取締役と出資者が同じなのでそういうことがいえるかも知れませんが、「代表取締役 ○○」と1個人「○○」とは違うので、あくまで役割なだけかなと。そう考えれば「構成要素」は「匿名」という言い方は間違いではないのでは。

 匿名という言い方がしっくりこないなら、法人という人格と考えれば、人が殺人を犯したときは名前が報道されます。たとえば、右手で包丁をもって人を殺したとしても右手が殺しましたとは普通いいません。あくまでそれは人としての名前で報道されます。それは何故かといえば、右手は実行したかもしれないけれどそれは「人」というシステムが行ったという判断がされるからです。

 じゃぁ今回の件で何が一番肝なのかといえば、構成要素そのものが意図をもつことと、

システムとして違法だった不祥事と、ある社員がシステムの規約を破ったがゆえに起きた不祥事の2つに分けるべきだと。

 この切り分けが色々な意味でしっかり出来ないということでしょう。そもそも、マスコミが何かの不祥事を報道するときにすらこの切り分けはされない。たとえば企業の職員が痴漢をして捕まったというのは、本来企業の価値とはなにも関係ないにもかかわらず企業の不祥事として扱われる。このあたりは難しい話で、切り分けを余り厳密にすると、切り分けを誰がするかという問題になる。企業がそれを行うと力関係の違いからスケープゴートが出来てしまう危険性がある。企業という全体でリスクを負うことで痛みを企業全体で分かち合うという構成員に対するリスクヘッジだ。

 企業の規模が大きくなるとそれが個人に悪用されることも出てくる。それがひろゆきの言いたい「企業のなかでの匿名」の正体ではないかと思う。