棋譜の話し

 とりあえず、どういう形になるかはまだはっきりしないが、実際動き出すことにして色々な方面と調整中という話しになった。

 hide-wさんからトラックバックを頂いたので(というかこのblogにトラックバックしてくる物好きはhide-wしかいないわけだが)すこし自分との考えの相違について書いてみる。トラックバックURLが分からなかったので直リンで。


日本人の議論を避ける習性

「機能」よりも「手軽さ」よりも、もっと重要なことがある。それは文化(ソフト)である。日本には「議論」とか「批評」の文化がない。よほど親しくない限り、遠慮がちにオブラートに包んでモノ申すのが美徳とされている。長幼の序や棋力の上下関係にも敏感で、下から上にネガティブなことを言うのは許されないような空気がある。

棋譜を単純に公開するだけでも日本人は「世間の目」を極端に気にする傾向がある。「ブログに棋譜を掲載する方法が分からないから」ではなく、もっと単純に「恥ずかしいから」棋譜を公開しないのだ。

日本で 棋譜を遠慮なく突っつき合うには、それなりの親密さが必要だと思う。ネット上で偶然知り合ったという程度の仲では、遠慮し合って有意義な議論にはならない。

初級者、年少者が参加するにはどうすればよいか、ソフト面での工夫がないまま、棋譜講評サイトを作っても「仏作って魂入れず」になってしまう。

日本で活発な議論をしようと思ったら、やはり匿名にしなければならないのだろうか。

他に何のアイディアも思いつかないまま、2年がすぎた。

Voice of Stone #1617 ソーシャル棋譜サイトの構想

 

この点に関しては文意に関しては同意なのだけれど、今回の案では根本的に棋譜講評という形でのコメントというのは期待していない。それは変化図を切り捨てることと合致するのだけれどコメントはあくまで感想であって講評までは期待しないつもり。まぁ感嘆的な要素がどれくらい受け入れられるかは分からないけれど、単純につぶやき的なものでもいいかなぁと思っている。

 結局、コメントをつけるというコンセプトはあれど、ブログパーツとしての役割は単純に棋譜表示のみのほうが使い勝手が良いのではないかと思っている。ようは自分自身のblogに貼り付ける場合と、サイトで棋譜を見る場合の表示方法を変えるということになるかと思う。

 私的にこのサービスは、「棋譜を掲載する方法がわからないからやらない」人しか対象にしていないつもりだ。優良なコンテンツを抱えながら技術的手間で発表しない人達を対象にすることによって優良な発信者を増やしたいということだ。それは、解法を含めた上での詰め碁、問題等の簡単な表示というものも含まれる。最終的に碁盤をWEB上に表示することにストレスを与えないことで、優良なコンテンツを生み出す閾値を下げたいのだ。

 だから「恥ずかしいから棋譜を公開しない」面々というのは見る側に回ればよいと思っている。blogという一億総表現時代ツールがあったとしても、所詮まともな発信者になれるのはごく一部なのだから。今私が問題にしたいのは、作る側も、見る側も両方が制約を受けるこの状況を打破したいということ。(例えば棋譜を掲載したいとおもったら見る方乗せる方が両方どこかに登録しないといけないというのは大きな障害)それプラス生かせるのなら今ある棋譜DBを表現という意味で生かしたいと思う。

 表現する側にとって、場所が複数個あって使い分けるのは面倒だ。私もmixi、goxi、そしてこのblogとそれぞれに記事なんて面倒で書いていられない。一元的にここで記事を書いてシームレスにそれぞれからここに集約できるのが当然望ましい。それと同じ理屈でシームレスに棋譜というものを表現出来るようにしてみたいのだ。極論的な話し一方的な発信だけを目的に使ってもらうということ。

 出来るだけシンプルで使い勝手の良い単純な機能を提供して、使い方はユーザー次第というかたちが一番理想だ。googlemapなんてその典型じゃないだろうか。